Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

理屈や利益には救えない心のベクトル

 最近同棲を始めた友人達の部屋は、木々のあわいにおちた陽溜まりのように優しい空気に満たされていて、まるで彼等の明るい未来を暗示しているような気がした。夜中まで丹念にオイルを塗り込んだのだという無垢のダイニングテーブルは確かに立派な代物で、朝の珈琲を傾けて自慢げな友人の話をいつまでも聞いていたいと思った。彼の目線の先にはいつでも彼女が居る。窓辺に置かれたソファの上で彼女は何とも無邪気に笑っていた。その日は日曜にふさわしい完璧な太陽で、レース・カーテンを透過する光に頬を照らされた彼女を見て、映画(のようにまるで完璧なもの)を観ているような気分になった。

 彼にとっての彼女は、太陽のような人なんだと思う。彼女はとてもしっかり者だけど、天然というか子供のような所もある。一緒に居たら行く先々でハプニングを起こしてくれる気がする。それは決して悪い意味ではなくて、ドタバタ劇のような、退屈しない毎日をもたらしてくれる人だろうという事である。そして彼女は愛嬌のかたまりと言っていい。いつでもニコニコ笑顔だから、一緒に居ると元気が出る。どんな事でも一緒に楽しんでくれて、いつでも底抜けの明るさで無邪気に笑う姿は、友人の心を何度でも救ったのだろう。二人はどこまでもお似合いのカップルだから、いつまでも一緒にいて欲しい。

 どんな人と過ごすかで、人生は百八十度一変する。天然でおてんばな人と共に居たならば、楽しく退屈しない日々を送れるだろう。しっかり者で落ち着いた人と共に居たなら、浮き沈みない平穏な暮らしを送ることが出来るかもしれない。いずれの場合にせよ大事なことは沢山あるだろうが、そのうちの一つは「自分自身を好きでいさせてくれる人」と共に居ることだと思う。勿論、自分も相手にそう思ってもらえるようにあるべきだ。お互いがそう感じることの出来る関係ならば、どんなに素敵なことか。

 僕は今、なだらかに日々を送っている。数年前に思い描いた未来とはまったく違うけれど、最近はこれも悪くないかと思うときもある。今となってはだけれど、別れることにはなってしまったけれども、結婚したいなと思えるくらいの人に出会えたことは、二十歳そこら迄の僕の人生は間違いなく良いものだったと結論づけるに足りる理由になった。そして、その宝物を胸の奥にしまえるくらいには時間が経ってしまった。新しい道を歩む勇気がささやかに芽生えていくのを日々実感している。この道の先にも幸せはあるのだろう。何もかもを打ち消してくれるような素晴らしい日もある。この暮らしがもたらしてくれる幸せには感謝するばかりだ。ただ一方、日々を行くさなかで遣り場のない寂しさに気付かぬふりをしている。喉につかえた小骨のような違和感が時折チクリと胸を刺す。僕のやっていることは、あの頃してあげられなかったこと、してあげたかったことのリプレイでしかないかもしれない。飲み下せない違和感の残滓は、梅雨どきの低気圧のように呼吸を浅くさせる。不安があるのは心苦しいけれど本音だ。これから向き合っていく必要がある。さもなくばこの先も自分を好きになれないときには、昔のことを偲んでしまうだろう。あの頃、自分自身を好きで居られたのは何故か考える。ありがとうね。

 いつかは遠く透き通る空のような心で、真っ直ぐ歩けるようになれればいい。

幾度目かのストロベリー・ムーンで

 昨晩は特別な光の波長によって、満月が赤く染められたらしい。“らしい”と表現するのは勿論、僕はそれを見逃しているからである。昨日は部屋から出ずに映画を三本ぶっ続けで見てしまった。宇宙の粋なはからいを見逃したのに気付いたのは、翌日である今日の、ただの曖昧な『ほぼ満月』のもとだった。夜道を歩きながら、脳内で「あー、しまったなー」と言葉を再生したけれど、本当はそんなに後悔していない。今日の月もなかなか綺麗だ。薄らと夜雲がかかって輪郭がはっきりしないから、あれはおぼろ月?そう思ったけど、調べるとおぼろ月は春だけの季語だそう。じゃあ、あの月はなんて名前なのかな?初夏、霞む雲のむこうにある。その名前は結局、分からずじまいだった。

 うっすらと疑念を抱いている。スーパー・ムーンやストロベリー・ムーン、もっと言えば日食やら月食も含めた、月に関するイベントだけど…案外開催頻度高くない?何十年に一度しか見られないとか、次に見れるのは2085年ですとか、そんな謳い文句を年に何度も耳にする気がする。僕達は騙されているかもしれない。月に関するあらゆる催しは滅多に見られないなんて嘘で、北海道フェアくらいの頻度で開催されているかもしれない。これこそが真実だ─────とは言わないけれども。どれも少しずつ違うのだろうけど。だけど、僕は今までに観た特別な月をあまり覚えていないから、案外色々やってるよなとか変な疑念を言い出す。月のことは好きな方で、とくに特別な色形を見れると聞けば、あえて外に出てみたりもする。でも記憶の映像としては端から消えていくばかりだ。わずかに覚えているのは、誰かとその出来事を共有したかくらい。そして、それが何より大事なことなのだと信じている。

 100年に1度と言われようと、遠く手の届かない月の姿なんてすぐに忘れる。だけど、誰かと特別な景色を分かちあった事実は残る。それだけでいいのだ。そんな出来事が死ぬまでに多ければ多いほど良いに決まっている。もう生きてるうちに見られないなんて、別に嘘かもしれない。学術的裏付けは真偽不明、調べるつもりもない。本当は年に二、三回あるとしても、騙されてしまえばいいのだ。もう二度と見られないものを一緒に見られてよかったね、と。おい!曇ってるじゃねーか!とツッコめばいい。冗談のふりをして、月が綺麗ですねと言ってみるのもいい。(これ、アチャチャのオゲゲだけど、実は皆言ってみたことあるんだろ?)そうして変な空気になればいい。北海道フェアだって、毎回さも初めてかのように見ればいいのだ。じゃがポックルあるかな?ってね。些細な会話、たわいもない時間、すべてが積み重なって思い出になっていくと思うから。また幾度目かの“何十年に一度”がやってくる。その度に僕は特別な色形を口実に、一緒に月を見ようと誘いたい。

雷、或いは心がざわつくニュースの日には

 街の一切合切がまるごと爆裂したみたいな、おそろしい雷が鳴った。前触れのない衝撃音とともに建物が大きく揺れて、それが天候のもたらしたものと理解するのに時間を要した。近所の工場が非現実的な大事故でも起こしたのかと推測したほどだ。窓の外に目を向けると、薄ら雨の先に閃光が瞬いた。数秒経ち、ごろごろと雷鳴が轟く。幾重に弾けるフラッシュ。やがて雨もざんざんと強まり出した。芽吹くただひとつの心配は帰り道のことではない。涙、小さく震える肩、脳裏に映る幻は雨のしずくと一緒に胸の奥まで染み込んで、思い煩いをまた呼び覚ました。

 雷の日にある人のことを心配する癖をやめられない。雷が鳴って、いの一番に思い浮かぶのはいつまで経ってもあの頃と同じ姿だ。稲光から轟音が届く迄の合間、怯えて目を瞑る。そう遠くに住んでいる訳じゃないはずだから、同じ雷鳴を聞いていることだと思う。今もあの頃の様に恐がっていないか、心配になってしまうのだ。それは雷に限った話では無い。心がざわつくようなニュースの日。あるいはふと、周りとの人間関係に悩んでいないか。心が重たく苦しくなっていないか。息がしづらくなっていないか。

 彼女にはもう別に近くで寄り添って助けてくれる人が居るはず。その次に半笑いで思い付く「もう僕が心配しなくても、大丈夫か」みたいな心底くだらない言葉は悔しくてもう書きたくない。ちぇっ。あるいは、もしかしたらあの人は雷を克服したかもしれない。正直考えにくいけど。真偽は知る由もない。通常運行の暮らしには、風の便りが届くような繋がりもないから、どこでどうしてるか分からないけど。神様がいるならどうか彼女の心を憂鬱にしないで。彼女の心を大切に守って。

 最近ツイッターで「わかる…」と頷いてしまった投稿があった。当たり前の日常に溶け込んだ人を忘れることは難しい。きっかけは世界に溢れ切っている。実家に。横浜の街に。天候に。時間に。仕草に。表情に。身体に。スマートフォンに。出来事に。成行きに。思い出に。彼女を思い出さない日は無い。そして、彼女のこれから先を知ることができないことがずっと苦しい。

港の倉庫に来い。14:30迄に。

 国民の祝日が運命に仕組まれたように一堂に会する素晴らしき連休、ゴールデン・ウィーク。あっ、という間にカレンダーは流れ、黄金色の日々は最終日を迎えた。僕は絵に書いたような絶望の面でベッドに沈みこんでいた。明日からはみどりの日でも、青の日でも赤の日でもなく、無印灰色の日々がはじまるのだ。まるでつまらないスゴロクのような。憂鬱に拍車をかけるように今日の天気は雨だった。部屋にジメリドヨンと充ちた湿気。マットレスに放り出された四肢にはきのこが生えている。ベッドの上、くだらないインターネットの明かりが僕の顔を鈍く照らし出す。何もかもおしまいだとでも言いたげな表情。

 連休最終日とは覚悟の時間である。サザエさん症候群というのがあるようだが、自慢じゃないけど僕は日曜の夕方どころか、起床時にはもう発症している。なんなら土曜日の夜にはもう緊張し始めている。明日への覚悟の時間になってしまえば、それはもう休みの日ではないのだ。もちろんそれは連休のオーラスとして、最も恥ずべき幕の引き方だということも分かっている。美しくない。祝日への冒涜。エンドロールに飛び交うヤジ。それでもこの身体はかかる重力に逆らえない。この雨では出かける気にもなれない。飲んで忘れてしまうか?いっそのこと泣いてみようか。ああ、友達に会えたらいいのにな────

 

 ポキポキ!

 

なんだ。湿っぽい部屋に乾いた音色が響いた。LINEだ。誰だ。明日の仕事の連絡か?やめてくれ、まじで。おそるおそる画面を覗く。

 

「14:30までに赤レンガ来れるか?」

 足立だ!

 

 メッセージの送り主は足立だった、僕の10年来の大親友である。こいつ…!!このタイミングで誘ってくれるなんて!彼の言うことには、赤レンガ倉庫にてフリューリングスフェストなる催しがあるらしい。ドイツの春の訪れを祝うお祭りのことだ。敷地に特大のテントを張り、その中でドイツビールやらソーセージ、さらには本国から招いた音楽隊によるライブを楽しむことができるって?そして何より、これまた僕の10年来の大親友、ひーも一緒だって!?彼らとは高一のクラスで出会ってから今に至るまでつるんでいる。人生の中で一番長いこと一緒に過ごした友達かもしれないくらい、大切な友達のふたりだ。僕はメッセージを読んだ瞬間に心を決めていた。

「電車調べるわ」 

「さすが」

簡単なやり取りをしながら浴室に飛び込む。強めのシャワーが気だるさを流す前から、僕の心は既に晴れていた。スグに準備をすれば14:30には間に合いそうだ。タオルでささっと手早く身体を拭く。今更どんな格好で会ってもいい人達だけど、気分がいいからお気に入りのアウターを選んでみた。髪も整えた。なんてったって、今日は最高の日だから。彼らのおかげで、終わりの日は燦然と輝き始めたのだ。

 

 約束の10分前には会場に着きそうだった。傘を前のめりでさして小走り。跳ねる飛沫で裾丈を濡らして、少し息を弾ませて。もう身なりのことは気にかけていなかった。ひーがウェルカム・ドリンクとしてビールを買いに行ってくれたらしいのだ。それは早く行かねば!もう赤レンガ倉庫は目の前。最後の信号が青に変わるやいなや、会場のテントに僕は飛び込んだ!

 

 驚くほど広い会場だ!前方に音楽ステージ、後方に飲食の屋台、そしてその間に相当数のテーブルが設置されていて、大勢のお客さん達が思うがままにイベントを楽しんでいた。まだライブは始まっていないようだけど、既にかなりの盛り上がりを見せている。足立とひーを探しながら歩いていると、突如、背中をどつかれた。

「よぅ!」

ひーだ。顔がほころぶ。どうやら彼らは早めに来ていて、席を確保してくれていたようだ。道案内されながら辛抱できずに会話を始める。

「よく来たね〜!」

「そりゃ来るよ!」

足立が待つ席に辿り着く。

「ウィ!」

「呼んでくれてありがとなぁ〜!」

三人でグーを合わせ合った。おや…机の上には、飲み終えられたプラコップがいくつか。あと中身がくり抜かれたパイナップルの残骸。……おい、もうだいぶ楽しんでんなこいつら!いいな!座る間もなく、用意してくれていたウェルカム・ドリンクことヴァイツェンで僕らは乾杯した。

 彼らは僕のためにポテトやソーセージも買い足してくれていた。これがまた美味くて酒が進む!あっという間に1杯目を飲み干してしまい、スグに2杯目を買いに行く。今度は僕からふたりにお返しのビールを送った!もう楽し過ぎる!そうこうしていると会場にアナウンスが流れた。今からドイツの音楽隊によるライブが始まるらしい。なるほど、足立とひーはこれに合わせた時間で僕を呼んでくれたのだ!席から立ち上がって、ステージに向かってビールを掲げた。楽団は知らない言語で客席を煽る。僕らはただ叫んだ。言葉は分からなくてもお酒と音楽があれば大丈夫だった。

 

 三人の話は尽きなかった。旅行に行った話。行きの新幹線、牛タン、しおり…面白いなあ。車が欲しい話。スバル製の車を買ったら、僕のことを乗せてくれるらしい。仕事の話。特大のボーナスが出るんだと自慢された。僕はうるせー!ぶん殴るぞ!と叫んでいたけど、心の底から嬉しかった。他の誰かなら本気でムカついてる所なのに。彼が頑張っていて、皆に認められているなら俺は本当に嬉しい。最近、酔った足立が泣いているのを時々見る。何なのかと訊ねるとなんか「嬉しい」らしい。こいつ最高。ひーは、今日も底抜けに明るいパワーをそこらじゅう撒いている。さっき生パインのかき氷を半分以上床に落としたらしい。だから2個目を買ってきていた。面白い。一緒に居ると元気になれる人ってこういう人だろうな…。大人になればなるほど、どんな事でも一緒に笑ってくれる人さえ居ればどんなに幸せかと思うようになった。足立は幸せ者だな。ひーは毎回息が出来なくなるくらい笑ってくれるからめちゃくちゃ嬉しいんだよな。最高。足立とひーは高校時代と変わらず、ケンケン罵りあいをしている。その直後にお前は最高だ!とかそっちこそなー!とか言い合ってるからおかしい。どこまでも飛んでいけ。足立とひーが楽しそうなのが、僕は本当に幸せだった───。

ビタン!!

突如。足立にマンキンで背中をぶっ叩かれた。オエェ!なんだこいつ!酔った時のこいつのパワーはおかしい。振り向くと、お前は最高!とのことらしい。やったぜ。

 ご機嫌な演奏は続いていた。僕らは時々立ち上がり、音楽に身体を任せながらまたプラコップを傾ける。一度気分がよくなって三人でがっちり肩を組んで揺れていた。すると、近くの席で飲んでいた若者グループが僕らに肩を回してきて、一緒に歌い始めた。次に外国人の兄ちゃんたちも参加してきて、皆で歌う!段々僕らは大所帯の真ん中になってしまったのだった。最高に楽しかった。陰鬱な気分で迎えたはずのゴールデン・ウィーク最終日は最高の思い出になった。彼らのおかげだ。

 友達と酒と飯、音楽で踊る。これもう人生のすべてだろ。もうここで終わってもいいと思った。あー駄目駄目、これは僕の悪い癖である。あんまり幸せな出来事が起きると、もう死んでもいいとか悪い言葉でくだらない例えをしてしまったりする。もうさ、そういうことじゃないんだよな。

 

 

 僕はこの人達と居られて嬉しい!本当に楽しかったなー!これからもずっと仲良しでいたい!こいつらの幸せが僕の幸せだ!僕がぜってえ守るわ!

…馬鹿なヤンキー中学生みたいになってしまった。でも、それくらい真っ直ぐに思えるってヤバない?本当に心から思ってしまう。それって、最高に幸せじゃんかよー!おまえら、いいやつ。

国道246号、高架橋にて生を実感す

 

 

どこかにスマホを落とした。

やばい。まじやばい。

 

 

 気が動転する。事態はこの上なく最悪だった。それを決定づけたのは、ここがデカく長い国道であり、僕は原付で脇目もふらず走行してきたということだった。

 

 場所は国道246号、溝の口付近。歩道のない高架橋を越え少々進んだときに、ふと、(自分でも何故気が付けたのか不思議なのだが)ほんのごくわずかな、そして確かな、違和感に気がついたのだ。

 

軽い。何かが軽い───

 

 己の身体から、かけがえのない大切な何かが欠け落ちてしまったような。芯が冷えるような悪い予感。まさか。一旦交差点を左折して生活道路の路肩にバイクを停める。しずかだ────僕はナビのアプリに道案内をお願いしていた。なのに、無音だった。瞬間、上着のポケットをまさぐる。

 

 ふわっ、くしゅ……いやいや、そんな訳…全身のポケットの隙間をくまなく探索する!無い。いや、失い。すうっと体温が失われていくのを感じる。身体の重心が定まらないようだ。何センチか宙に浮いていたかもしれない。そうだ、最後の望みをかけてApplewatchの本体連携状況をチェックしよう。これではっきりと答えが出てしまう。心臓がおかしい。右手首を上げ、小さなディスプレイを表示する。ドクン、、ドクン、、ドクンドクンドクン!!

 

⌚️「接続できてないぞ」。

 

終わった。

 

 

───僕の意識は身体を抜け出した。僕の頭頂部を第三者目線で中心に捉えながら、宙へ宙へと視点を上昇させていく。グーグル・アース状態だ。「バイオ・ハザード」のタイトルロゴが表示されてもよかったかもしれない───

 

 

 平常心はとうに失われていた。念の為、iPhoneを鳴らす機能も本体への通話も試してみたが、どれも無意味だった。間違いなく、走行中に上着のポケットから落下したのだ。

 冷静に考えよう。ナビの音声が消えたのは、高架橋を走行中だった。そこまでは間違いなくあった。そういえば上り坂のあたりで、何かが落ちるような音がした気がする。まだその場所から200mくらいしか来ていないはずだ。落としたのが路肩か本線内かは分からないが、スグ戻ればまだ後続車に踏まれていない可能性はある。ただ高架橋には歩道も無く、近くに停車することもできない。皆スピードを出せる危険な場所だ。あそこに行くには、もう一度向こう側からバイクで高架橋へ侵入することが絶対条件だ───。

 僕はそう判断するやいなや、エンジンを蒸かして超特急で反対車線に原付を走らせた。

 

 国道本線に合流するための信号は、尽く赤く点灯していた。その間は無限にも感じられる時間だった。前に進めず、気ばかり焦る。スマホがV字に折れ曲がり画面の砕け散った想像ばかりしてしまう。もはやパニックだった。もしかして、これって警察に言った方がいいの?警察って俺のために交通止めてくれる?ないだろ。仮に言ったとして、回収まで何時間?今はゴールデン・ウィークの真昼間だ。交通量も多い。時間がかかってしまったら、僕の相棒はおだぶつだ。思考だけはフル回転。エンジンの回転数は上がらぬまま、ようやく本線の反対車線に合流した。即Uターンするぞ!と焦る僕の前に、次なる問題が姿を現した。

 

───中央分離帯の切れ目がない。

 

 まったくもってないのだ。ただひたすらに直進させられている。ええ……既に件の高架橋は通り過ぎているのに、どこまで走ればUターンできるのか分からない。マジどうしよ!?肥大する焦燥とは裏腹に、僕は目的地からあれよあれよと離されていくのだった。

 

 スマホが無い事実を抱える。それだけで変哲の無い世界が、不気味なエラーを起こしたように偽物に見えた。僕以外のすべてがそっくり入れ替わってしまったような。くもり空が不安を煽る。刻一刻と時間は過ぎていく。今も高架橋には何台もの車が通行しているのだろう。広大な国道で自動車にビュンビュンと抜かされていくなか、原付法定速度の30km/hで、何故か東京側へドンドンに向かっているこの状況。やべえって…やがて、大きな「橋」が見えた。多摩川だ。オイ、世田谷区入っちゃうじゃねーか!!!左右に広がるリバービューを黒い風になって切り裂きながら、為す術なく東京都へ運ばれていく。生きた心地がしなかった。

 

 その後も道中はひどいものだった。相変わらず中央分離帯の切れ目はなく、右折Uターンは不可能。一度「渋谷方面」「高井戸方面」という分岐があり、パニックのまま渋谷方面を選んだのだが、分岐後に高井戸方面に右折のできそうな道が見えた。最悪だった。そのまま僕は渋谷目前、用賀のあたりまで来てしまった。何km来てるんだよ。もう終わりだよ。スマホも土地勘も判断力もないと、こんなにも無様なことになるかね。ようやく中央分離帯の切れ目を見つけ、川崎市溝の口へ向けハンドルを切る。

 

 ただひたすらに走った。がむしゃらに。気持ちはすでに諦めが勝っていた。スマホには思い出も沢山詰まっているのがこの時代の常だ。本体がグシャグシャになってしまえば復旧は難しい。まだ本体ローン払ってんのよ?最近のiPhone、まじで高いよ?深い絶望のなか、GWで大盛況の二子玉川駅を抜けていく。ヘルメットの奥に殺戮マシーンの瞳。二子橋を笑顔で歩く人々を横目に流し、とうとう神奈川県へ到達した。ここからは小一時間前に走行したルートを注意深くなぞっていく。見逃しは許されない。諦めの気持ちが…とは言ったものの、一筋の希望をまだ捨てきれていない。奇跡よおこれ。

 

 溝の口を目前に控え、例の高架橋が遠くに見えてきた。僕は久しぶりに神様に祈った。お願いします!なんとかしてください!何とかなれーっ!サラダも食べます!運動もちゃんとします!そして、怪物の隆起した背中のような高架橋に侵入する。たのむ…!緊張で周囲の音も聞こえない。幸い、交通量は少なかった。スピードを緩めながら、さきほど走行したであろうコースに目を凝らす。路肩は少し汚れていて、見通しがわるい。本線内に落ちていたのなら、もう希望はないだろう。橋も半ばを迎えようとしている。ダメか…その思いが頭を過ぎったそのとき、路肩の白線上に、見えた。

 

 間違いなく僕のスマホだった。どうやら簡単に踏まれるような位置に落下したわけではなさそうだ。ウォア!歓喜と緊張でどうにかなりそうだった。交通に危険がないことを確認して、バイクを停めて、それを拾い上げた。その時───

 

『南に、すすみます。』

 

 いつも通りのナビの音声が聞こえた。なんと、僕のスマホは無傷だった。僕は叫んだ。ガッツ・ポーズ!握り込むフルスロットルのアクセル!唸るエンジンの悲鳴とともに、歓喜にうちふるえながら絶叫した。わああああ!ありがとう!ありがとう!ありがとうございます!!!ヘルメットの中で、1km以上の間叫び続けていただろう。喉がちぎれ、視界の周りがだんだん暗くなっていく位叫んだ。かくして、僕のスマホは無事に回収されたのだった…

 

 先ほど、生きた心地がしなかったと述べたが───今にして思えば、あの時のヒリつき、心臓の鼓動こそが、生の実感そのものだったのかもしれない───日々に慣れて、周りの人やモノに感謝の気持ちを忘れて生きてやしないか?僕はこの世界に生きているという実感なく、人生を消費してしまっていたかもしれない。皆ありがとう。踏まないでくれてありがとう。iFaceもありがとう。二度と上着のポケットにスマホを入れてバイクに乗らない。これも教訓だ。

 

 あと冷静な判断力をもっと培おうと思った。中央分離帯があったのはずっと見てたはずだよな?落としたことに気がついた時点で、国道の反対車線へUターンするんじゃなくて、左折3回して走行してた車線に戻った方が早かったんじゃないのか?

お楽しみ毛玉付きコートのススメ

 ウィンター・シーズンが過ぎて、今年も着古しのコートを仕舞う。何年か前に購入して以来、毎年活躍してくれている。オーバーサイズ気味を選んだのが幸い、まだ流行り廃りのラインからギリギリ外れることなく着れている、と思っている。ファッションセンスに自信があるとは言えないが、僕は結構気に入っている品だった。

 衣装ケースを出して、コートを畳む。袖の辺りのけばけば。着古しだから擦れるとすぐに毛玉が付くようになってしまった。これって防寒能力どんどん落ちてるってことだよな?いつかペラペラになってしまって、スプリング・コートとして使える日が来るんじゃないか?毛玉取らなすぎてボアコートみたいになったら面白い。そんなくだらないことを考えたりした。上着も、靴下も、頭皮も年月をかけて使っているとどんどん擦り切れてきてしまう。大切にしなきゃだめだなと思うのに、つい雑に扱ってしまったり。こなれ感と雑に扱ってしまってついた傷が違うことは、もうよく分かっていた。

 このコートは購入した年の冬には、もう袖がけばけばになった。ダークブラウンの生地に白い毛玉はむちゃくちゃ目立つ。犬の毛もたくさんついた。別にそれで良かった。いくつかの場所に行った。いや、書けない無理だ、きつい。

 とりあえず500円玉をポケットに入れて、クローゼットの奥へ衣装ケースを封印した。これはまた次の冬にこのコートを着た時、「あ!500円玉入ってる!ラッキー!」をやるため。ちょっとした幸せを感じるための僕のライフ・ハックだ。来年はもう着ないかな?どうだろ。流行りにも疎いから着ちゃうかもな。また冬に会おうな、バイバイ。

言葉を尽くしてみろ、小論文5なら

 昔の恋人のストーリーズはあまり見たくないので、突然流れてくると慌ててスワイプで飛ばしてしまうのが常だ。ただ、その一瞬の間はまるでびゅうと通り抜ける風のようで、懐かしい匂いについ後ろを振り返ってしまう。過ぎてしまえばもう何処にも姿は無い。溜息と、幸せならOKと心の声をぽつりこぼして、僕はまた自分自身の道を歩いていく。(そもそもフォロー外せば良いじゃん、という意見があるだろうがこれはそういう話ではない)

 人生は宇宙旅行みたいだ。無限の選択を繰り返して、人は唯一無二の旅をする。あてのない孤独な旅。同じ景色を観る者はいない。ただ一人、生涯を通じて連れ添えるパートナーだけが、それを限りなく分かち合うことができるのだと思う。人工衛星スプートニク2号は眩い光を放って、空の彼方へ消えていった。スプートニクと同じ景色を観たのは、宇宙に初めて行った犬、ライカだけだ。はじめから地球へ帰る術を持たぬ衛星と、ライカは運命を共にした。僕は君が居なくなった地球で、ライカの観た景色を夢にみる。夢に見るしかできない。

 落ち込んでいた時、好きなバンドのフロントマンは、古い恋を忘れるただ一つの言葉を教えてくれた。「死ね、バカ女!」。死ねという言葉は肌に合わなかったけど、もうどうでもいいやと何度も思うようにした。そうしてあなたとは関係の無い日々を重ねていくと、いつかまた、僕はライカになる夢を見てしまう。やがて幸せな夢で会うことが多くなって、目が覚めたらまた話したくなってしまう。馬鹿。まだ僕の言葉に意味があると思っているのか?

 言葉では届かないところまで行ってしまった人。ストーリーズは見たくない、なるべくは見ないようにしている。話すことも出来ないくせ、心を盗み見るような気がして。幸せならOKです。本当はよくない。でも笑えているなら嬉しい。だけど、君の悩みのなかに過去の自分の面影を見つけてしまったときに、僕はどうしようもなくなる。この期に及んで君のなかに居るかもしれないことへの喜び。君のなかの自分の存在を信じて疑わない己の傲慢さ。それでも話すことが出来ない意気地無し。他人の目、何もかもを失う恐ろしさ。恥ずかしい希望。すべてを捨てて駆け出そうとする熱病の心。狂ってしまいそうになる。あれ以来で何度か話をする機会はあったけれど、そのすべてで失敗している。君の前では上手く言葉を紡ぐことができなくなる。言葉を紡ぐという感覚でいることが間違っているのかもしれない。僕のすべてをさらけ出せたら。

 君の心と辿り着いた結論が、冷笑的なモノになりませんように。その結論を僕は否定したい。君は自分よがりでも自分中心でもない。ふざけるなとブチギレたい。泣けてきた。間違っていないよ大丈夫。君は悪くない。君より優しい人には会ったことがない。気にしいすぎる所があったけれど、それは誰かの事をいつも気にかけている証拠だ。いくらでも悪く捉えることもできる、でもそうしないでくれ。それが君の素敵なところだよ。誰よりも感受性が優れているからすぐに泣く。映画の予告編で泣く君の感受性が愛おしかった。あれ何本も流れるから、何回泣くんだよと笑った。僕の花粉症用ティッシュを使い切るなよ。

 君は小論文の成績の良かった僕をいじったけど、よっぽど君の文章の方が綺麗だった。純粋でまっすぐで優しい、嘘も過去への偽りもない。僕は言葉を嘘に使ってしまえるから、言葉を嘘にしてしまったことがあるから、僕の文章はすべてクソになった。死ねばいいのに。本を読むようになったんだってね。まじで、むっちゃ良いと思う。最高。良かったなあ。一度教えてくれた本はときどき読み返してる、面白かった。いつかまたおすすめ教えて。好きな本をおすすめし合える関係になりたい。なりたかった。本当に心を打たれた文章だった。食らったわ。素敵な文章を書く人は、間違いなく素敵な人だ。持論ね。素敵な人はすぐに幸せになれる。揺るぎない素敵な心を持つ人は、最後は必ず幸せになれる。素敵な心で世界を捉えられるんだから。君はもうそれを持っていると思うよ。大丈夫、幸せになるべき人だ。それが実現しない世界には「俺がしないわ」。←

 君の理想に対する価値観は、あたたかくてやさしい。最高に素敵な考え方だと思う。君にぴったり。僕も、 いいなあって思う。

ここまで全部の文章はフィクションなんで無視してください。