Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

人間観察が趣味って言うのはやめとけ

 ふとした、なんてことの無い人のすがたを、いつまでも覚えていたりする。

 例えば、町角のちいさな床屋の店主である、妙齢のご夫人。その床屋はあきらかにお年を召した方向けだなと思わせる店名・外装だが、それがなんともかわいらしい。きっと僕が生まれる前から、この町で営みを続けている(真偽は知らない)。店主のご夫人はいつも1人で、この店を切り盛りしている。

 ある雨の日。僕は店の前を通りがかって、彼女を見かけた。彼女は玄関から身を乗り出して、降り出した雨を手のひらで確かめていた。扉の隙間から覗けた店内では、白髪の女性(店主よりも更にお年を召した!)がバーバー・チェアに腰掛けており、店主に楽しそうに語りかけていた。ああ、お客さんの為に天気の具合を確かめたんだな。そう直ぐに理解できた。

 その光景にはドラマがあった。床屋のご夫人の性格や、お客さんに対する姿勢が想像できた。彼女のことを何ひとつ知らないのに好感をもってしまう。長くお店をやっていける理由は「こういうこと」なんだろうな…と知った顔で勝手に納得する。この先も素敵な店主と素敵なお客さんが集まる場所であれ、と願った。いちいち大げさなのだけど。

 あるいは最近、これまた年季の入った町中華でパーコー麺を食べていた時のことも印象に残っている。その店はとにかくスープが熱い。アホか!とツッコミたくなるくらい熱くて、そんでもって最高に旨いラーメンを出してくれる。餃子もすげー旨い。僕はいつも通り舌鼓を打っていた。やがて隣の席にスーツの青年が座った。どうやら初めてこの店にきた様子だった。彼はラーメンを注文した。(それ、ナイスよ〜)と心の中で青年に語りかけた。しばしの時間が過ぎて、彼の為のラーメンがカウンターに乗せられた。彼のワクワクを想像する。(やっと来たぜ!もう腹ペコ!)かな?

 そして彼はどんぶりをテーブルに下ろした。その瞬間、慌てた様子で唸りをつけて手首を振った。ああ、、熱かったんだね。そうよ、ここのラーメンは丼まで死ぬほどアチアチなんだよ。手のひらの熱を逃がす、そのすがたが何故か良いなと思った。自分でも何故なのかよく分からない。変哲のない光景なのに、何でだろう?僕はそう自問しながら残りのスープをすすった。彼はミニチャーハンを追加注文していた。ソレも旨いよな。

 僕がカメラを持ってさえいれば、その光景を切り取ったかもしれない。でも、レンズを向けてしまえばすべて嘘になってしまうような気もする。ありのままですばらしい、人の営みのすがたをいつまでも覚えていたりする。

西谷星川

 久しぶりに相鉄線に乗った。高校生の頃は、毎日通学で利用していた。しかし、社会人になった今では相鉄沿線は生活圏内から外れてしまい、次第に利用することも少なくなった。二俣川を発車し、横浜へ向かう快速急行。夕方、西陽が容赦なく差し込んで、視界の中で白飛びする街並み。誰もロール・カーテンを下さない。車窓の枠に切り取られた光と影のコントラスト。逆光の中で目を細めて、あの頃のことを思い出していた。

 西谷星川あたりの街並みが、車窓を流れては消えていく。このあたりの駅には一度も降りたことがない。たぶん、なかったと思う。あの頃と同じように窓の外を過ぎていく。僕にとってはただの灰色の風景。透明かもしれない。なんでもない。どんな人が住んでいて、どんな建物があるかも、一度も気にしたことがなかった。記憶に残る風景ではないけれど、好きだった。あの頃はよく、シートに肩を並べて、眺めていた。胸が詰まる。僕の家は横浜方面ではない。だけど、毎日のようにこの電車に乗っていた。

 僕は些細な出来事を忘れてしまうことがある。こんな事あったよねという問いに、「あ〜!そんなことあったな!」と返すことはしばしば。よー覚えてるな、とデリカシーなく返事をしてしまって、機嫌を損ねてしまうこともあった。良くなかったな。小さな出来事をいつまでも覚えているのは、それはその人にとって特別に輝いて残った思い出だったということなのかな?お守りのように大切にしてくれてたのだろうか?僕も相鉄線の逆光の中で、眩しいと笑う顔を覚えている。

 西谷とか星川とかさ、降りたことあるっけ?覚えてないか。なんかあったような気もして。覚えていたらその時のことを教えて欲しい。

いつまでエウ・ゼーンでいられる?

 朝の田園都市線は急行の本数を減らして運行している。逃してしまうと、結構長いこと電車に揺られなければいけなくなる。だから本当はまだ微睡んでいるほうが楽だけど、己に鞭をいれて浴室へと向かう。この時期は服を脱ぐことさえ億劫になる。昨日は雪も降っていたから、今朝の冷え込みは一段ときびしい。ただ、去年買ったコーヒーメーカー、あれは最高だ。湯気に乗るコーヒー豆の香り。間を置いて、噴出音、そしてフォームミルク。寒ければ寒いほど最高になる。

 支度をして家を出る前に、部屋のカーテンを開けて窓際のガジュマルに葉水を遣る。この時期は乾燥気味にさせないといけないので土の表面が湿り気を帯びているのを確認して「まだ平気か」とひとり呟いた。まだ陽は射し込んでこないけど、僕がいない間に喜んでくれるといい。

 いつもと同じ乗車口から電車に駆け込む。まだ座席にも少し空きがある。僕は適当な空間を選んで吊革を掴む。あたりを小さく見回すと虚ろな目をした若いスーツの男や険しい顔をした初老の男の姿がある。きっとみんなもまだ微睡んでいたかったんだよね。社会人の人は気持ちを作るのも大変だろうな…僕は学生の身分、まだ電車で死んだ目はしてる場合じゃないと決めて頑張った。

 いつもの席にはやっぱりあのふたりがいた。若い男女のつがい。男は長髪に丸眼鏡をかけているけど、結構いかつい顔付きをしていてすこし怖い。隣の小柄な女の子はいつもマフラーで顔を半分隠しながら寝ている。ふたりともカーキ色のモッズコートを着ているからお揃いみたいで少し可笑しい、そして可愛らしい。ふたりは必ず手を繋いでいる。会話はほとんどない。二人がどこの駅から乗ってくるのかは知らない。だけど僕はこのふたりの生活を想像する。ふたりの雰囲気は心地いい。僕は彼らのことが好きだ。

 中央林間駅に着くや否や、ほぼ満員になった電車から一斉に人々が溢れ出す。「中央林間ダッシュ」は有名だ。ここで降りる人は殆どが田園都市線の急行への乗換だから、我先にと誰もが駆け出す。たぶん、数少ない座席を奪うため。田園都市線はラッシュ時には国内有数の混雑率を誇るんだって。人を掻き分けながら走る人たちにも、彼らなりの事情があるとはいえ正直少し苦手だ。無意識に歩幅を緩めてしまう。

 結局、急行には乗らなかった。乗ろうと思えば乗れたけど。時間がかかってもいいから、ゆっくり行きたい気分になったのだ。鈍行で渋谷まで向かおう。まもなくやってきた列車は先程の急行とはうってかわって空席が目立つまま発車のアナウンスが流れた。列車が地上に抜けたところで、突然の強い光が僕の目を眩ませた。気が付くとそこは一面の銀世界だった。思わず、息を飲む。先日の雪が田園風景の中ではまだ殆ど溶けずに残っていたようだ。雪景色に朝が降り注いで乱反射していた。全てが白い。満員の急行に乗っていたらこの景色を見る余裕はなかったかもしれないなと思った。

 

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大学生の頃の話。

卯の花腐し

 夜更け頃に雨は本物になった。今朝は憂鬱な気分で支度をした。家を出て数分も経てば、足元は裾までずぶ濡れだった。風もどんどん強く吹き荒れ、雨はもはや嵐と呼ぶに値するほど凄烈に成長していた。あーあ、灰色のスウェット・シャツを選んだのは間違いだった。横降りの雨が傘の隙間から容赦なく降り掛かる。肩に滲んだ雨粒が粗雑な模様を描いている。傘もろとも吹き飛ばされそうになるのを必死に堪えて歩く。やっとの思いで駅に辿りつく頃には、泥水をふんだんに啜り上げた靴底が比重を増してきゅうきゅうと鳴き、まるで沼地を歩いているみたいだった。疲れた。

 傘に付着した雨粒を振り払って、電車に乗り込む。座席に腰を下ろして溜息をひとつこぼす。足元がだいぶ冷えてしまった。新しい一日が始まったばかりだというのに、これ程までに濡れてしまっては風邪をひいてしまわないか心配である。雨は嫌いではない、なんてポエマーなことは言えない。雨はクソ。雨を思いついた奴の性格の悪さたるや。最近は雨が多い。昨日も小雨がぱらついていた。五月になればもう卯の花腐しの時期だ。今年の春はとても暖かいから、空木もそろそろ開花し始めてたりして。陰暦四月を卯月と呼ぶのは卯の花が咲く季節というのが由来らしい。

 そんなことを考えているうちに学校に到着した。電車が大雨の影響で十分ほど遅延してしまったので、授業開始の時刻に少し遅刻してしまった。余裕をもって家を出なかったことを後悔しつつ教室の扉を開ける。当然、講義は既に始まっているため、教室では教授の話す声以外一切の音が排除されている。入り口に最も近い席に荷物を置く。どうやらまだ講義内容にはほとんど触れていないようだ。よかった。安心して、教壇の前に配布資料を取りに行こうとした。その時だった。

 ぴぃ、という気の抜けた音が教室に響いた。出処は、僕の靴底。ここに辿り着くまで濁った雨をただ啜り続けた例の靴底はもはや飽和状態にあった。彼は一歩進む毎にささやかな飛沫と共にぴぃ、ぷぅ、という情けない声をあげる。まるで幼児のフイゴ靴だ。駅からはイヤホンをしていたから全く気が付かなかった。幾ら歩き方を模索しようとも彼が鳴き止むことは無かった。為す術を失くした僕は諦めて羞恥の目に晒されながら、無事資料を入手したのであった。もはや、笑え。今日の空模様にあてられた誰かの憂鬱を、無様な音色で希釈できたか。せめて、そう思うことにした。

 

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大学生の頃の日記のひとつ。

Linha d'água

 母はこの街のオススメスポットをたくさん知っている。「海の近く」という湘南のフリー・マガジンを読んでいて、茅ヶ崎のあたりをマイカーでドライブしたり、お友達と一緒にランチをとったりしたのだという話をよく楽しそうに話している。今日はそんな母に教えてもらった海の近くにあるハンバーガー・ショップを目指して車を走らせた。朝からとても天気がいいから海岸沿いを走るのも楽しみだった。まもなく件の店に到着した。小洒落た雰囲気。時刻は十四時を回っており、僕の腹はハンバーガーを詰め込むにはまさにいい塩梅になっていた。すぐに席に通された。ウッドデッキのテラス席。潮の交じった風が心地いい。さあいつでもこい。ほどよい具合に火を通した挽肉を配膳するのだ!僕はその時を待った。

 

 その時は突然訪れた。ウェイターが白い湯気と匂いとを携えてプレートを運んでくるのが見えた。

 

 申し訳ないとは思っていたが、彼女が丁寧にしてくれた料理の説明は脳の中をすり抜けていた。噂に違わぬボリューミーな肉!肉!肉!思わず涎が垂れそうになるのを慌てて抑える。ハンバーグの起源は十三世紀、タタール人のヨーロッパ侵略まで遡る。彼らは乗り潰した馬を殺し食料を賄っていた。しかし酷使した馬は筋肉が付いてしまい硬く不味い。そんな馬肉を食べやすくする工夫として、馬の鞍の下に肉を入れておくことで肉を潰して柔らかくしたという。やがてヨーロッパで労働者などに安価な屑肉を口当たり良い料理として提供するための手段として普及したらしい。だが!僕の目の前に運ばれてきたこの肉は、まさにハンバーグになる為に生まれてきた牛肉なのだ!万歳!万歳!………

 

 会計を終えて店を出る僕は、満悦の表情であった。再びドライブにもどる。辻堂鵠沼あたりは都会ではないが静かで小さくも洒落た店が建ち並ぶ。主婦が幸せに暮らせる街ランキングで一位になったなんて噂も聞く。少し狭い路地を行くとこぢんまりとしたアイスクリーム屋さんを見つけた。調べると、どうやらこの辺りでは人気のスポットらしい。せっかくだから寄ってみようと思い、併設されていた小さな駐車場に車を停めた。

 

 子供の頃、母がアイスクリームを買ってくれた。母はカップを選んだ。その理由が僕にはわからなかった。僕たち子供は当然にコーンを選ぶものだった。理由を訊ねる。「うーん、なんでだろ?これでいいと思う歳になったのかな」余計理解できなかった。コーンなら食べれる部分が多いし、何よりおいしいじゃんか。アイスとコーンのマリアージュ!僕はあの日と同じくコーンを選んだ。少し特別なワッフル・コーンだ。僕はまだ母のような大人にはなれていないのかもしれない。

こけこっこ

 今朝は漫画みたいに鶏が鳴いたから気分がよかった。仕事に向かう足取りも少し軽い気がした。久しぶりに実家に戻っていたのだが、地元の町も大きな変わりがなくて安心した。うちの町内には小さな牧場があるのだ。近くを通れば牛や鶏の鳴き声が聞こえる。そんで決まって家畜の臭いがする。これがなかなかに厄介もので、夏の雨の日なんかむんとした空気に混じってその臭いは町内中にデリバリーされる。牧場からだいぶ離れた我が家にさえ鮮度の高い状態で届けられるのだから、近所に住む人は年柄年中鼻をつまんで生活してるんじゃないかな。失礼か。人は田舎かよと思うかもしれないけど、うん、紛うことなき田舎なんだと思う。(本当の田舎の人に馬鹿にされるやつだ)

 高校生の頃、学校の近隣にも豚だか何かを飼育している場所があった。そこも同じように家畜の臭いを町に漂わせていて、高校名を冠して〇〇臭なんて呼ばれて多くの生徒の反感を買っていた。でも僕はその臭いには慣れ親しんでしまっていたから、ぶっちゃけ殆ど気にしたことがなかった。寧ろ、嫌いじゃなかった。心が和んでいく気さえする。都会の空気、満員電車の臭いの方がよっぽど苦手だ。牧場が歩いて行ける距離にあるなんて、考えてみれば物語の世界みたいで結構いいと思う。青空と入道雲、蝉の声、喉に刺さるサイダー、麦わら帽と白ワンピースの少女、終わらない夏のイメージ。朝にコケコッコーなんてベタな導入ではあるけれど、退屈な日常が一転するような何かが起こる予感に胸が高鳴る。まあでも、かなり臭いことは臭いんだけどね。

primavera blu

 

長い間、春の青に溺れていた。

 

 春の訪れを蔑したいように厳しかった明方の空気も何処へやら。新しい一日があんまり優しく始まるものだから、僕は布団の中で二月のそれとは違う名残惜しさを噛み締める。カーテンの隙間から柔らかい光が降っている。朝が来たんだ。少し心残りはあったけれど、微睡みを振り解くように伸びをする。むくり、と身体を起こす。窓硝子の先にはずっと遠く白んでいく空が見えた。すごく綺麗だった。春はあけぼの、なんて何時だかに習ったフレーズが頭を過ぎってちょっと面白い。あの頃、ちっとも考えてなかった。この風景は一千年前と何ら変わっちゃいない。

 

 とはいえ、なんだかんだ言っても朝の支度というものは億劫である。洗面台の前に立って、ようやく今朝の寝癖のひどさを知る。まあ、それでも体裁を整えるのに困る訳ではない。ひと月前は蛇口をひねってすぐの水には触れるのも躊躇われたけど、今日はそれほどでもない。肌に触れる空気は少し湿り気を帯びた気がするけれど、悪くはない。 適当な朝飯の献立を考えながら歯を磨く。

 

 先程調べた電車の時間に帳尻を合わせて玄関を出る。今日はお気に入りのコートを羽織らなかった。駅までの道のりには子供の頃よく遊んだ公園があるが、久しく足を踏み入れていない。最近では古い遊具が新しいものにすげ替えられていて、なんだか知らない場所のように感じる。でも、あのモクレンは変わらずに立っている。昔からあのオフホワイトの花弁が好きだった。今は遠くから眺めるだけだけど。また少し駅に近づいていく。桜並木の中を歩く。といっても、まだ花は咲いていない。真冬の頃、彼らは生きてるのかそれとも死んでるのかすら分からなかったけど、このしだれ桜の梢も雨が早く咲けと急かす度に確かに膨らんでいるんだろう。たぶん。そういえば高校の友人がみんなで花見をしたいなんて言ってたっけ。早く予定を立てないと時季外れになってしまうよ。

 

 そうこうしているうちに最寄駅に辿り着いた。定期があと数日で切れてしまうことに気が付いたけど、今日は乗れるからそれでいい。ホームに陰がおちていて少し肌寒かったから、電車が来るまで隅の陽だまりでアナウンスを待った。それでもやっぱり最近は暖かい日が続くようになってきていて、車窓の外を流れていく風景もすっかり春の様相を見せている。所々で梅なんかが立派に咲いていたりする。でも梅はそろそろ散り始める頃かもな。年中咲いててくれればいいのになんて考えてみるけど、そう上手くはいかないから良いんだってことも知ってる。やっぱり、帰り道は公園に寄ってみようか。あのモクレンを見に行こう。どうせなら花びらの真下まで行かなきゃな。

 

 春、季節に血が巡っていく。今日はいい日になりそうな気がする。