Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

卯の花腐し

 夜更け頃に雨は本物になった。今朝は憂鬱な気分で支度をした。家を出て数分も経てば、足元は裾までずぶ濡れだった。風もどんどん強く吹き荒れ、雨はもはや嵐と呼ぶに値するほど凄烈に成長していた。あーあ、灰色のスウェット・シャツを選んだのは間違いだった。横降りの雨が傘の隙間から容赦なく降り掛かる。肩に滲んだ雨粒が粗雑な模様を描いている。傘もろとも吹き飛ばされそうになるのを必死に堪えて歩く。やっとの思いで駅に辿りつく頃には、泥水をふんだんに啜り上げた靴底が比重を増してきゅうきゅうと鳴き、まるで沼地を歩いているみたいだった。疲れた。

 傘に付着した雨粒を振り払って、電車に乗り込む。座席に腰を下ろして溜息をひとつこぼす。足元がだいぶ冷えてしまった。新しい一日が始まったばかりだというのに、これ程までに濡れてしまっては風邪をひいてしまわないか心配である。雨は嫌いではない、なんてポエマーなことは言えない。雨はクソ。雨を思いついた奴の性格の悪さたるや。最近は雨が多い。昨日も小雨がぱらついていた。五月になればもう卯の花腐しの時期だ。今年の春はとても暖かいから、空木もそろそろ開花し始めてたりして。陰暦四月を卯月と呼ぶのは卯の花が咲く季節というのが由来らしい。

 そんなことを考えているうちに学校に到着した。電車が大雨の影響で十分ほど遅延してしまったので、授業開始の時刻に少し遅刻してしまった。余裕をもって家を出なかったことを後悔しつつ教室の扉を開ける。当然、講義は既に始まっているため、教室では教授の話す声以外一切の音が排除されている。入り口に最も近い席に荷物を置く。どうやらまだ講義内容にはほとんど触れていないようだ。よかった。安心して、教壇の前に配布資料を取りに行こうとした。その時だった。

 ぴぃ、という気の抜けた音が教室に響いた。出処は、僕の靴底。ここに辿り着くまで濁った雨をただ啜り続けた例の靴底はもはや飽和状態にあった。彼は一歩進む毎にささやかな飛沫と共にぴぃ、ぷぅ、という情けない声をあげる。まるで幼児のフイゴ靴だ。駅からはイヤホンをしていたから全く気が付かなかった。幾ら歩き方を模索しようとも彼が鳴き止むことは無かった。為す術を失くした僕は諦めて羞恥の目に晒されながら、無事資料を入手したのであった。もはや、笑え。今日の空模様にあてられた誰かの憂鬱を、無様な音色で希釈できたか。せめて、そう思うことにした。

 

_____

 

大学生の頃の日記のひとつ。