Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

歪な息吹で、いびきだなんて

 もう長いこと愛用していた枕を洗濯機で回してみたら、中身のクッションが揉みくちゃになってまるで呪物のようなおぞましい見た目になってしまった。洗濯表示を読むと「手洗いのみ」の文字が。温室育ちめ。耐えろ。僕の枕は使用者の頭や首にあわせて形や高さを微調整できる点で優れた商品だった。機能を実現したのは内部のクッションを複数に分けて個別に調整できる多層構造だ!しかし、この日だけはそれが仇となったのだ。各層の綿があっちこっちにねじれて岩牡蠣みたいになっている。元の形に整えようとすれば並々ならぬ時間を要すことは明らかだった。どうせ自分のものだからと洗濯表示を見なかったことを後悔した。面倒くさいぞ。歪なオブジェと化したソレを放って収納から予備の枕をひっぱりだす。代替の枕はいつかに間に合わせで購入したシロモノで、僕にはいささか柔らかすぎたのだが、当面はこれで良しにする。よろしくな、相棒。ぼすっと一発軽いチョップを入れた。

 そこから一、二週間ほど代わりの枕を使用し続けていたけれどやっぱりあまりよくなかったみたいだ。首の高さが合っていないのか、変ないびきをかいてしまうようになった。いびきは枕が合っていないことに依る典型的症状らしい。また季節的にもスギ花粉の飛散が始まっていて、ひどい花粉症である僕は毎晩鼻詰まりに苦しんでいた。それも相まっていびきが生まれているのかもしれない。悪いいびきは速やかに直されなくてはいけない。眠りが浅くなっているのか心なしか疲れやすい気もしたりするが、それ以上に直したい理由が別にあった。

 「いびきかいてたよ」と誰かに指摘されることは、僕にとって少し気恥ずかしいことだった。僕の弟は昔っからいびきっかきで、半目になりながら濁点のついた轟音を鳴らす姿を見て僕は笑い、ときにさらなる面白さを求めていたずらを仕掛けた。(鼻を摘んだり、鼻の穴にこよりを突っ込んでみたり、顔に落書きをした。本当にごめん)とにかく僕はいびきを笑いの対象としていた。幼い頃の自分はいびきをかく方では無かったから残酷なことが出来たのだ。大人になって首も舌も太くなって、社会人生活は想像していたよりストレス満載、疲労困憊の毎日だ。人はいびきのひとつくらいかくさ。とはいえ、誰かに指摘されるのはやっぱり気恥ずかしい。それが隣で眠る彼女だったらなおさらだ。

 「うるさかった?ごめんね笑」もう大人だからいびきをかいた恥ずかしさを受け止めて謝ることができる。彼女も「結構うるさかった笑」と笑いながら言ってくれる。だけど内心は(チッ、うるせーな)と思っているかもしれない。同じくぜいぜいの社会人の立場、夜中隣でいびきをかかれて目を覚ます日々が続けば嫌にもなるだろう。もう一緒に寝てくれなくなるかもしれない。それは嫌だなあ。すこし不安になる。僕は自分のいびきには敏感なほうなのか、自分が鳴らし始めた音で目を覚ますことがしばしばある。その度に「やべ、直さんと」と気持ちが焦る。早くまっとうな枕に戻せば少しはマシになるかもしれないが、件の歪な枕を整えるのは困難だろうなあ…この際新しい枕を買ってしまおうか…?

 些細なことでも考え込んでしまうタチなので、ここまでの事を彼女にすっかり話してみた。すると思いもよらない方向からの話を聞く事ができた。 

「いびきかいてる時に鼻摘むとゴブフッってなっておもしろいんだよねフフッ」

 寝耳に水だった。それは紛れもなく僕の知らない物語だった。なんて事だ、僕が過去に弟にした悪行をいま地でいってるのかよ。

 「何やってんだよ!」「面白くて」「僕はいびきに敏感なほうで自分の音で目を覚ます、じゃないのよ」「全然気付いてなかったわ」

 ひとしきり笑ったあと、やっぱり新しい枕を買おうと思った。

 彼女とはときどき大きな喧嘩もする。1ヶ月ほどまともに会話をしなかった時期もあった。僕と比べて淡白になれる部分もあって、もうどうしようも無いかもしれないと悩んだ事もあった。だけど、僕の知らない日常のワンカットが、彼女の心の動きが、なんだか素直にとても嬉しかったのだ。

 僕の鼻を摘んだとき、彼女はどんな表情をしていたんだろうか?願わくばくすりと笑っていて欲しい。例えば、ほんの微かなくすぐりのあとみたいに。あるいは僕が君の寝顔を眺めるときと同じように。