Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

国道246号、高架橋にて生を実感す

 

 

どこかにスマホを落とした。

やばい。まじやばい。

 

 

 気が動転する。事態はこの上なく最悪だった。それを決定づけたのは、ここがデカく長い国道であり、僕は原付で脇目もふらず走行してきたということだった。

 

 場所は国道246号、溝の口付近。歩道のない高架橋を越え少々進んだときに、ふと、(自分でも何故気が付けたのか不思議なのだが)ほんのごくわずかな、そして確かな、違和感に気がついたのだ。

 

軽い。何かが軽い───

 

 己の身体から、かけがえのない大切な何かが欠け落ちてしまったような。芯が冷えるような悪い予感。まさか。一旦交差点を左折して生活道路の路肩にバイクを停める。しずかだ────僕はナビのアプリに道案内をお願いしていた。なのに、無音だった。瞬間、上着のポケットをまさぐる。

 

 ふわっ、くしゅ……いやいや、そんな訳…全身のポケットの隙間をくまなく探索する!無い。いや、失い。すうっと体温が失われていくのを感じる。身体の重心が定まらないようだ。何センチか宙に浮いていたかもしれない。そうだ、最後の望みをかけてApplewatchの本体連携状況をチェックしよう。これではっきりと答えが出てしまう。心臓がおかしい。右手首を上げ、小さなディスプレイを表示する。ドクン、、ドクン、、ドクンドクンドクン!!

 

⌚️「接続できてないぞ」。

 

終わった。

 

 

───僕の意識は身体を抜け出した。僕の頭頂部を第三者目線で中心に捉えながら、宙へ宙へと視点を上昇させていく。グーグル・アース状態だ。「バイオ・ハザード」のタイトルロゴが表示されてもよかったかもしれない───

 

 

 平常心はとうに失われていた。念の為、iPhoneを鳴らす機能も本体への通話も試してみたが、どれも無意味だった。間違いなく、走行中に上着のポケットから落下したのだ。

 冷静に考えよう。ナビの音声が消えたのは、高架橋を走行中だった。そこまでは間違いなくあった。そういえば上り坂のあたりで、何かが落ちるような音がした気がする。まだその場所から200mくらいしか来ていないはずだ。落としたのが路肩か本線内かは分からないが、スグ戻ればまだ後続車に踏まれていない可能性はある。ただ高架橋には歩道も無く、近くに停車することもできない。皆スピードを出せる危険な場所だ。あそこに行くには、もう一度向こう側からバイクで高架橋へ侵入することが絶対条件だ───。

 僕はそう判断するやいなや、エンジンを蒸かして超特急で反対車線に原付を走らせた。

 

 国道本線に合流するための信号は、尽く赤く点灯していた。その間は無限にも感じられる時間だった。前に進めず、気ばかり焦る。スマホがV字に折れ曲がり画面の砕け散った想像ばかりしてしまう。もはやパニックだった。もしかして、これって警察に言った方がいいの?警察って俺のために交通止めてくれる?ないだろ。仮に言ったとして、回収まで何時間?今はゴールデン・ウィークの真昼間だ。交通量も多い。時間がかかってしまったら、僕の相棒はおだぶつだ。思考だけはフル回転。エンジンの回転数は上がらぬまま、ようやく本線の反対車線に合流した。即Uターンするぞ!と焦る僕の前に、次なる問題が姿を現した。

 

───中央分離帯の切れ目がない。

 

 まったくもってないのだ。ただひたすらに直進させられている。ええ……既に件の高架橋は通り過ぎているのに、どこまで走ればUターンできるのか分からない。マジどうしよ!?肥大する焦燥とは裏腹に、僕は目的地からあれよあれよと離されていくのだった。

 

 スマホが無い事実を抱える。それだけで変哲の無い世界が、不気味なエラーを起こしたように偽物に見えた。僕以外のすべてがそっくり入れ替わってしまったような。くもり空が不安を煽る。刻一刻と時間は過ぎていく。今も高架橋には何台もの車が通行しているのだろう。広大な国道で自動車にビュンビュンと抜かされていくなか、原付法定速度の30km/hで、何故か東京側へドンドンに向かっているこの状況。やべえって…やがて、大きな「橋」が見えた。多摩川だ。オイ、世田谷区入っちゃうじゃねーか!!!左右に広がるリバービューを黒い風になって切り裂きながら、為す術なく東京都へ運ばれていく。生きた心地がしなかった。

 

 その後も道中はひどいものだった。相変わらず中央分離帯の切れ目はなく、右折Uターンは不可能。一度「渋谷方面」「高井戸方面」という分岐があり、パニックのまま渋谷方面を選んだのだが、分岐後に高井戸方面に右折のできそうな道が見えた。最悪だった。そのまま僕は渋谷目前、用賀のあたりまで来てしまった。何km来てるんだよ。もう終わりだよ。スマホも土地勘も判断力もないと、こんなにも無様なことになるかね。ようやく中央分離帯の切れ目を見つけ、川崎市溝の口へ向けハンドルを切る。

 

 ただひたすらに走った。がむしゃらに。気持ちはすでに諦めが勝っていた。スマホには思い出も沢山詰まっているのがこの時代の常だ。本体がグシャグシャになってしまえば復旧は難しい。まだ本体ローン払ってんのよ?最近のiPhone、まじで高いよ?深い絶望のなか、GWで大盛況の二子玉川駅を抜けていく。ヘルメットの奥に殺戮マシーンの瞳。二子橋を笑顔で歩く人々を横目に流し、とうとう神奈川県へ到達した。ここからは小一時間前に走行したルートを注意深くなぞっていく。見逃しは許されない。諦めの気持ちが…とは言ったものの、一筋の希望をまだ捨てきれていない。奇跡よおこれ。

 

 溝の口を目前に控え、例の高架橋が遠くに見えてきた。僕は久しぶりに神様に祈った。お願いします!なんとかしてください!何とかなれーっ!サラダも食べます!運動もちゃんとします!そして、怪物の隆起した背中のような高架橋に侵入する。たのむ…!緊張で周囲の音も聞こえない。幸い、交通量は少なかった。スピードを緩めながら、さきほど走行したであろうコースに目を凝らす。路肩は少し汚れていて、見通しがわるい。本線内に落ちていたのなら、もう希望はないだろう。橋も半ばを迎えようとしている。ダメか…その思いが頭を過ぎったそのとき、路肩の白線上に、見えた。

 

 間違いなく僕のスマホだった。どうやら簡単に踏まれるような位置に落下したわけではなさそうだ。ウォア!歓喜と緊張でどうにかなりそうだった。交通に危険がないことを確認して、バイクを停めて、それを拾い上げた。その時───

 

『南に、すすみます。』

 

 いつも通りのナビの音声が聞こえた。なんと、僕のスマホは無傷だった。僕は叫んだ。ガッツ・ポーズ!握り込むフルスロットルのアクセル!唸るエンジンの悲鳴とともに、歓喜にうちふるえながら絶叫した。わああああ!ありがとう!ありがとう!ありがとうございます!!!ヘルメットの中で、1km以上の間叫び続けていただろう。喉がちぎれ、視界の周りがだんだん暗くなっていく位叫んだ。かくして、僕のスマホは無事に回収されたのだった…

 

 先ほど、生きた心地がしなかったと述べたが───今にして思えば、あの時のヒリつき、心臓の鼓動こそが、生の実感そのものだったのかもしれない───日々に慣れて、周りの人やモノに感謝の気持ちを忘れて生きてやしないか?僕はこの世界に生きているという実感なく、人生を消費してしまっていたかもしれない。皆ありがとう。踏まないでくれてありがとう。iFaceもありがとう。二度と上着のポケットにスマホを入れてバイクに乗らない。これも教訓だ。

 

 あと冷静な判断力をもっと培おうと思った。中央分離帯があったのはずっと見てたはずだよな?落としたことに気がついた時点で、国道の反対車線へUターンするんじゃなくて、左折3回して走行してた車線に戻った方が早かったんじゃないのか?