Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

たとえば、浴槽の縁ケツ滑りを許すこと

 小学生の時の修学旅行だっただろうか。クラスメイトとの初めての外泊体験、興奮冷めやらぬ男子達にはあるひとつの命令が下っていた。「風呂で騒ぐな暴れるな」。夕食後の大浴場での規定だが、それはもう前日オリエンテーションから当日の入浴直前まで口酸っぱく伝えられていた。しかし、幾ら言われたところで、貸切の大浴場を目の前にして落ち着いていられる子供達ではない。一斉に放たれた悪童たちは次々と浴槽へ飛び込み、泳ぐ!泳ぐ!あれは見開きで描かれていてもいいシーンだと思う。潜れば、飛び出て、お湯を掛け合う。あるいは、ドンキーの下Bのモノマネ。浴槽の縁(へり)を濡らして、勢いをつけてケツで滑る奴もいた。それは遊んでいいと言われてたとしても思いつかんかったわ。

「ええ〜っ!?」僕は独り取り残され、驚愕していた。先生ダメって言ってたじゃん。あの頃、僕は“いい子ちゃん”だった。先生の言う事は絶対で、親に反抗したことも一度たりと無いような。だからあれほど言われていたのに皆が先生との約束を破ったことが信じられなかったのだ。それに加えて浴場には見張り役として担任の先生が配置についていた。普段から悪ガキには厳しい若い男の先生だ。怒られるぞ!僕は怒られるのが本当に嫌いだから、内心ビクビクしながら、予め“僕は皆とは違うよ”の立場を表明するつもりで先生に声をかけた。「せ、先生!?こ、これっ、いいの!?」

 先生は言った。「いいよ!お前も行けよ!」え?僕は一瞬訳が分からずに固まってしまった。ダメじゃないの…?先生はほほえみながら、背中を押してくれた。いいんだ。クラスメイトの方に目をやる。皆楽しそうだった。

 僕も。僕も、本当は泳ぎたかった。皆と一緒に。ゆっくりと友達のところへ駆けていく。先生は多くを語った訳ではないけど、僕は子供心に彼の言いたいことを感じ取れたと思っている。見張り役は先生一人に一任されていた。本当に危険なことはさせないけれど、そのなかで子供達に最大限の思い出を作らせてくれようとしていたのだろう。

 今の時代、もしかすると「教師としてそれどうなの」ということになるのかもしれない。だけど僕は先生のことが好きだった。何方にせよ、本当に危ない行為については注意をしていたので僕は先生としての責任は果たしていたと思う。その上で彼の事を社会人になった今でも尊敬している。

 常に正義の立場を選ぶことしか出来ず苦しんでいる人がいる。正直僕もそんな考え方が抜けた訳では無い。その考え方を捨てる事も同じくとても辛いことなのだろう。自分は正しいはずなのに、周りの理不尽に苦しめられているのだと言えなくなる。だけど、大人になって世の中は思ったよりも道理では回っていないと実感する。それは僕も本当にしんどい。そんな世の中だからこそ、できる限りは自分の信じる素敵な人に近づければいいなとは思っている。本当に大切なものは一体何なんだろう?そう思う度にふと、あの先生の事を思い出したりする。