Temo che combatterò la primavera in blu.

ほとんど昔の、嘘と本当の交じった日記

九月は寂寞のさなか

 呆気なく夏が終わった。曇りの日が続いていて、少しずつ肌に触れる空気がつめたく、空が乾いていくのがわかる。九月について思ってみる。九月のことを、僕は好きでも嫌いでもない…そこまで書いてみて、嘘だ、と思った。それは明瞭に嘘だった。そこから思い付くかぎりの修辞を尽くしてみても、結果として僕は九月に嘘をついてしまうばかりだった。さしあたって間違いないのは、この季節が苦手だということ。風邪をひきやすい。そしてこの季節にわずらうのは、きまって、わるい風邪だった。

 青春とは熱病である、と言いたい。それが終われば、日々は平熱に戻っていく。体温の異常を身体は忘れていって、伝達物質が正しくはたらき脳を正常化する。それが普通。

 夏の終わりの美しさは、水平線の奥に消えていく夕焼けと海面のきらめきのように、いつまでも眺めていたいものだ。波打ち際の水音。夕凪の中で、砂浜は薄く湿り気を帯び始めた気がして、裸の手足が少しずつ冷えてしまう。それでも立ち上がれないまま、誰かと一緒にいたいのだ。もうおしまい。無性に寂しい心は、何処か遠くに行ってしまいたいような、ずっとここに居たいような。

 あの日々からもう時間が経った。ニューロンシナプスが全て入れ替わっても、美しく残り続けているこの思い出があってよかったと思う。たとえ、それはもう僕の中だけにしか無い、再構築された記憶だとしても。

 本当は九月のことを愛せる理由を幾つも思いつく。事実愛している。苦手な理由、それすら愛おしく思う。同時に、心の底から怖れている。青春とは熱病である。それは気休めの錠剤では抑えられない。平熱の僕は、ぶり返そうとするあの風邪を愛していて、再びそれと対峙することを怖れている。

 また会おうね。この季節が移ろうときに罹る風邪のように、忘れた頃に。あるいは街で、居ない君の幻と擦れ違いざまに。

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間違いないことが確かなものは記録である。

曖昧で不確かなものこそが記憶だと思う。

 

失くしてみたい。

そして、死ぬまで忘れたくない。

 

漠然とした、不細工な、不格好な、無様な、極私的な、不合理な、感傷的な、かすかな、透明な、性的な、孤独な、臆病な、不完全な、虚無的な、殺人的な、シュールな、可憐な、幸運な、断片的な、感覚的な、綺麗な、軟弱な、人間的な、よこしまな、穏やかな、運命的な、鋭利な、劇的な、幼気な、哲学的な、立体的な、切なげな。

 

そんな記憶について。